鬱になったことが無い人にとっては、何のことを言っているのか分からないと思いますが、鬱のことについて少しでも理解を深めたいという人は読んでみてください。
心に何も問題を抱えていない人が見ると、気分が悪くなると思いますし、鬱というワードに対して嫌悪感を抱くかもしれません。
また、医学的な根拠はまったくなく、僕自身の体験談なので「1つのケース」として参考程度にしてください。
※読むのに時間がかかるのでご注意ください。
本記事では、以下の内容を解説します。
本記事の内容
・鬱ってなんなのさ?
・何がどう辛いの?
この2つが主な内容です。
恥ずかしい話ですが、鬱スタンバイ状態に入っていることに今日気が付いてしまいました。心臓の動きをコントロールできなくなってきたので、これはまずいなという状態です。ただ、前回よりマシだな?と思うのは、今の状況を冷静に見られることです。今日はサクッと切り上げて映画でも見て帰ろうかと。
— ブログの番犬 (@inu_blog) 2018年12月13日
鬱って聞いたことあるけど、なった事が無い人からしたら別に知りたくもないし興味ないと思います。
でも、もし身近な人が鬱だって分かった時、やっと身近な問題なんだなって気付いてくれると思います。
もしそうなった時に目を通して欲しいと思ってます。
この記事で伝えたいこと
1.鬱って誰でもなるんだよ
2.鬱は何か壮絶な原因がある
この記事を書いている僕は、過去に鬱の経験があり3回程、鬱→元気→鬱→元気→鬱→元気を繰り返してきました。
目次
鬱の症状と原因~僕はずっと鬱だった~

なってみないと分からない鬱について知ってほしいです。僕の場合、過去のトラウマとも言うべき環境と、社会人になってから体験した職場での環境が今の自分の鬱を引き起こす原因になってしまいました。
とにかく、心が辛くなったら早くその場を離れてください。ジッと待っていると取り返しのつかないことになります。そんな風にはならないで。
鬱とは心が死ぬこと

この記事を書き始めた時、また鬱に近づいていることに気が付きました。何故か、「今伝えなきゃ」そういう気持ちになりました。結果、近づいているのではなく、鬱そのものでした。
先日仕事のことについて人と会話をしていたら、意図せず不満をもらうことになってしまいました。腑に落ちないことでしたが結局相手を立てて謝罪しました。心の中は「何故悪くないのに謝らなければならないんだろう?」この気持ちが一杯でずっと頭と心をぐるぐるしています。誤った方が上手く行くような気がしてすぐ謝ってしまうのは自分の悪い癖でして、昔からこの性格が災いして同じことを繰り返してきました。相手の勢いが強ければ、状況が分かっていないのにすぐ謝ります。後から冷静になって考えると「あれ?何で謝ったんだろう。うっ苦しい…」こんなことがよくあります。
よく考えると、全てのケースで相手に対して過度な期待があったことに気付きました。また、自分の非を認められないことが主な原因です。非を認められないのに謝ってしまい、自分の心はそれを認めることができない状況です。あとから過ちに気が付き謝りたくて、でも自分が悪いことから目を背け、責任転換をしようとするずるい心も同時に存在していました。
いろいろ考えていると眠ることができなくなり、ずっと心臓の動きが早くなったり遅くなったりして身体にも影響が出始めてしまいました。
ここ数日今までの自分のことを考えて気が付きました。ずっと鬱だったんだな。と。
ブログも書き始めたので、以前は分からなかったことが自分なりに順序を立てて考えることができました。自分は、「白を黒と認める」この過程が一番心にダメージが来る瞬間なんだなということに気が付きました。謝りたくないのに、謝らなければならない時本当に辛いです。
今回のケースでは、相手を変えることが不可能かつ、自分を変えることも不可能なケースで、我慢して一定期間仕事をやり遂げなければならない葛藤が鬱へのステップアップになってしまいました。こういうと、「逃げることは恥ずべき事ではない。」とか「休みが必要だ。」と言われて正にその通りなのですが、今放棄することはプロジェクトへの大きな損失しかないため、自分の事を大切に考えて距離を置くということが非常に困難なのです。
仕事に対して責任感を持つことは当たり前なのですが、もはや正常な判断ができなくなっている今も危ういんだと分かりました。
本当は、時間を取って休みたいけど、それすらできないこともよくあって、これって日本人に鬱が多いと言われる原因なんだなぁと身をもって実感しています。
辛いと思っても、やはり鬱ってなった事がある人にしか辛さは分からないと思います。症状も人それそれだし、できなくなることもそれぞれ違います。鬱っていう言葉だけで、沢山の人の辛い気持ちをカテゴライズすることが不可能なほどに大変なことがあります。僕は、文字が書けなくなってしまったり、同じことを何度も書いてしまったり、電車に乗っていて降車駅になっても降りれなくなってしまったりします。鬱真っ盛りになると、すごく簡単なことができなくなってしまいます。家に帰っても靴脱ぐの忘れちゃうんですよ。お風呂に服着たまま入っちゃうんです。コーラを買ったつもりで間違えてコーヒーを飲んで吹き出したり、コーンパンを買って食べたらウインナーが入っていてびっくりしたりなんてことがよくあります。自分では正解を選択しているつもりでも、手に取る瞬間の間違いに気付けないことが沢山あります。いつも吸っている息が据えなくて苦しくなって動けなくなるとこもあるので、遅刻しても許してねって思います。
ウケる為のネタかな?って思われるかもしれませんが、これは本人からしたら本気でやったことなので思い返すと辛いです。けっこう楽しんで文字を書いているように思われるかもしれませんが、書いていると涙がでてきます。
鬱のサイクル
①何か問題が起きる
②謝らなくてもいいのに謝罪する
③心が死ぬ
④一つの感情に捕らわれる
⑤何か問題が起きる
⑥謝罪する
⑦再び心が死ぬ
⑧詰む
鬱は逃げ道が無い人や、逃げられない状況で起こりやすいと分かりました。
どこかの方もブログで書かれていましたが、鬱になる前の精神的に不安定な事を「鬱のスタンバイ状態」と知りました。すごく腑に落ちました。この鬱のスタンバイ状態では、まだ自分の事を客観的に見ることができ比較的冷静です。なので、今もこんなに理論立てて説明ができるんじゃないかな?と思っています。
要は、この鬱のスタンバイ状態の時に、自分ではどうしようもないことから救ってくれる何かを見つけられるかどうかで、この後の人生に影響が出ます。
自分にできること
まだ少しでも戦えるのであれば戦った方がいいです。僕はちょっと難しいです。
自身の力で乗り越えられるなら、それが一番復活までが早いからです。
今自分の目の前に、選択肢がある場合は選べるうちに手を出しましょう。それを過ぎてしまうと一気に選択肢がなくなり真っ暗になっちゃいます。選択肢は、誰かに助けを求めることだったり、休暇を取って旅行に行って新しい物を見てリフレッシュしたり、辛い原因から遠ざかったりすることです。
たたかう はなす りょこう ねる
じゅもん やすむ えいが なく
ぼうぎょ ▶にげる どくしょ はしる
どうぐ しらべる おんがく たべる
考えてみると選択肢はたくさんあって、どれを選んでもいいのですが、生活がままならなくなってしまった場合既に「鬱」です。そうなると、選択肢なんてあってないようなものです。今まで当たり前にできていたこともできなくなるし、誰かに自分の事を話そうなって発想は無くなってしまいます。
もし今、僕と同じように状況をまだ冷静に見ることができ、なんとなく自分の状態が良くないと思ったら、すぐに辛い事から距離を取りましょう。できないことは分かっています。でも「どうやったら辛いことから距離を置けるか」これを考えるだけでも、何か良くなると思います。
超えてしまったから、もういいんです。何もしなくてもいいんだ。
できることでいいよ。
ゆっくり寝て、ご飯を食べて、じっとしていたらいいと思うよ。
何もできなくても、いいじゃん。
今まで頑張ったんだもん。
映画見てもいいし、本読んでもいいし、お昼寝したっていいじゃん。
頭のリセットボタンを押してぼーっとしよう。
もう一人の自分

鬱になる直前、葛藤の嵐がやってきました。
もう一人の自分が、「こんなことじゃダメだ。しっかりしろ。」って言ってきます。
今の自分の状態を、身体の中にいるもう一人の自分が無理してでも「普通」でいるように指示をだしてきます。今が普通じゃないことに気が付くと、決まってもう一人の自分が正しいことをしようと誘ってきます。文字が書けなくなると、「こんなことって恥ずかしい。いつもはできれるのになんで?」とか、動けなくなっちゃった時に「普通の人はこんな事で悩まないよ。弱い奴だって思われるよ?いいの?」って聞いてくるし、「鬱なんてのは本当はないんだ。君がちっぽけで弱いから周りからおかしいって言われているんだ。全部自分の責任なんだよ。」そんな辛いことを自分が自分に伝えてきます。
でもダメなんだよ。分かってるんだよ。そんなことは知ってるんだよ。できないんだよ。なんかわかんないんだけど辛いんだよ。
そう言ったら、もう一人の自分も泣いていました。悲しいね。僕たちどうしたらいいんだろうね。誰にも言えないよね。なんで涙がでるんだろうね。普通ってなんだろうね。どうしてこんなことになったんだろうね。
こう考え始めると普通に考えることができなくなり、ただボーッ生きることになって生ける屍です。
自分の辛さを言語化してみると、その時初めて自分が大変なことになっているって気づくんですね。辛いけど何をしたらいいか分からない時は自分が知っています。傷つくことを言ってきますが、それも自分なので話を聞いてあげましょう。
今までずっと鬱だった

自分は鬱でなない。一歩手前なんだ。ちょっと疲れただけなんだ。
「鬱は世間的に見て恥ずかしいことだから、頑なに鬱だと認めることはできない。鬱はダメなことなんだ。」今の今までそう思っていました。
しかし、鬱の自分こそ本当の自分でした。
感情の中で「許す」と「認める」この二つの感情が一番難しいことだと思います。ダメな部分を認めて共存しなければならないので、認めるということは相当なエネルギーを使うことになります。周りからも「変人」のレッテルを貼られることになります。そんな環境に飛び込むことが怖いから認めることは難しです。鬱のことが分かるのは、鬱になった人か真剣に理解しようとしている人くらいです。そんな人は滅多にいません。
僕は家族に鬱かもしれないことを打ち明けた時にこう言われてしまいました。
「原因は何なの?詳しく教えて?」
もう…これアウトでした。かなりきつかったです。このあと何も話すことができなくなり、相手はイライラしていました。少しでも理解しようと心を近づけてくれたのに、何も話さないんですもんね。
本当に勝手ですが、理由は実は僕も分からないんです。だから、説明させないで…って思いました。
今は全く考えられませんが、もし自分が逆の立場だったら同じことを聞いていたかもしれません。
僕が鬱になるまで

僕が初めて鬱になったのは、もしかしたら幼少期なのかもしれません。
どこにでもある普通の家庭で、とくに不自由なく過ごしてきました。父、母、妹、ペットの犬、祖母と僕の5人と1匹で生活していました。
唯一普通と違ったところは、祖母が毒人間でした。
一般的に「毒親」とかっていう言葉が知られていますが、僕から見て祖母は祖母で、親ではなかったので毒祖母でもいいかもしれません。
ミカコさんという、とても優秀なブロガーさんが書かれた記事で、正に毒親について詳しく解説と非常にしんどい体験談を激白してくれています。
僕の場合、祖母が毒祖母でした。
何がそんなにやばかったかというと、モラルの欠如が著しく「自分以外の人間は全て自分の為に存在している」という理論を周りに押し付ける人間でした。母の作る食事が気に入らなければ平気で出前を頼もうとするし、少し具合が悪くなるとタクシーの代わりに救急車を呼んだり、自分にとって気に入らない事は赤ちゃんから無関係の人にまで平気で罵声を浴びせる人間でした。
父母は共働きをしており日中は家にいませんから、僕と妹とペットの犬は格好の餌食でした。関係のないことを僕と妹の責任として押し付け激高したり、何の前触れもなく怒鳴ってくることが日常茶飯事でした。僕と妹は祖母に関わらない様に必死に無視したり、ひたすら耐えていました。そんな生活を繰り返していると、「人の機嫌を損なわないことが大事なんだ」と思うようになりました。つまり、人の顔色をうかがう人間になってしまったのです。
僕と妹は人間ですから距離をとったりできましたが、最愛の犬は酷い結末を迎えてしまいました。祖母に暴行され、内臓破裂を起こして死んでしましました。
例え犬であっても、飼い主がどんな人間かは分かっているものです。祖母以外の人間にはとても懐いていて可愛い犬でした。そんな犬を大事にしていると、祖母は自分のことを見てくれない家族に対して憎悪を抱くようになり、その感情の矛先は犬にへと向けられました。最後は蹴り殺す、という人間として最低の行動を祖母は行いました。
犬を殺されたことも含め、日常の虐待に近い行動を正すように父母にも助けを求めていました。ですが父母の対応は、正直十分だったとは思えません。
小学生のこの頃は、僕と妹は勿論、父母にとっても非常に辛い時期だったと思います。
責任転換をしているつもりはありませんが、今思えばこの頃の普通じゃない環境が今の自分の原点になっている気がしますし、祖母については生きていてほしくない人間でした。
僕と妹は、心に強いストレスと抱えながら成長したせいか物凄い影キャラになったと思いますw
祖母が亡くなるまで、僕達家族は祖母に苦しめられました。本当に辛い少年時代でした。
鬱の第2期

高校生になった僕は、どんな大人になるべきか人生の選択を行う年齢へと成長しました。この頃は相変わらず祖母は健在でした。
とにかく、実家を早く逃げ出したくて一人暮らしを決意しました。「とにかく祖母から離れて遠くに行きたい。」そんなことを考えて進路を選択しました。僕にとっては、何に成りたいかよりも遠くに行きたいという気持ちの方が強かったので、何でも良かったんです。
高校生になっても内気な性格は変わらず、クラスのヒエラルキーでは最下層の人間だったので他の人間は全て輝いて見えました。そんな僕を気遣ってくれるヒエラルキー頂点のT君の言葉に感動して、美容師という生き方を選択しました。当時T君はこんなことを僕に言ってくれました。
彼の、T君のこの些細な言葉のお陰で「人目を気にする性格をなんとかしたい。」と思うようになりました。自分の選択肢に全くなかった美容師という世界に飛び込んでみる勇気を彼が与えてくれました。その日から、少し自信がついたような気がしました。僕は、煌びやかな世界に飛び込んで、「今こそ自分を変えるんだ」という強い気持ちになりました。
T君には本当に感謝しています。一周回って今は結局影キャラですが、もがいてみた結果少しは前に進んでいる気がしています。
専門学生時代は、変なキャラの僕を受け入れてくれる人がたくさんいて、手を差し伸べてくれたお陰で影キャラは身を潜め、楽しい青春時代を過ごすことができました。専門学校時代は、僕の黄金期となりました。
しかし、就職が第2の暗黒期を迎えることになってしまいます。
就職→日本で1番厳しいと評判のサロンに合格してしまう
専門学校時代の黄金期のお陰か、勉強も人との繋がりも全てが上手く行っていた勢いに乗り、なんと業界でも1番厳しいと評判のサロンに合格してしまいました。正直、ここに就職することは学生から見ると、エリートコースに乗ったような価値がありました。何故か合格したので、胸を張って仕事を始めることができました。
僕を含め、「1年生」と呼ばれる入店1年目の美容師アシスタントは13人程同期がいました。しかし、ここは日本1厳しい美容室です。13人いた同期は日に日に少なくなっていきました。厳しさが予想の斜め上を行っていました。3カ月経つと、13人いた同期はなんと5人にまで減っていました。みんな厳しさに負けて辞めて行ったのです。
1年生が毎日行う仕事は朝07:00に出勤して2時間の練習を行い、11:00のオープンに向けてお掃除とミーティングしてから1日がスタートします。お店では、会社で言う部署毎にチームを組んで仕事にあたります。専門学校を卒業したとは言え、現場では全くの役立たずです。先輩に言われた仕事は何1つ行うことが出来ず、毎日ひたすら怒られ続けます。時には先輩の機嫌を損ねることによって、チームの中で無視される始末です。仕事をしなければならないのに、何をすべきか分からず困っていると後ろから蹴られたりしました。
仕事ができないことが分かっているのか、最後まで責任をもって仕事を終わらせることができなくても仕事を任されます。当然失敗するのですが、すると次第に「殴られる」ようになりました。
同期の中で僕が唯一殴られるポジションを引いてしまいました。仕事が出来ないことに対しての見せしめとして殴られました。すると、他の同期は僕の様に殴られない様に今まで以上に注意深く仕事をするようになり、恐怖によって1年生は支配されていきました。
日に日に僕はボコボコになっていきました。唇は裂け、顔は痣だらけになり、それでもお客さんの前に立ち続けました。お客さんは「ここは厳しいって有名だからね。頑張れよ!」と殴って育てるというその店特有の教育方針を知っている様子でした。異常なその光景は、その世界では当たり前のことだったので僕は特に疑問に思うことがなく、次第に普通のことなんだと思い込むように洗脳されていきました。
何かミスをしてしまうと全て僕の責任になり、時には自分のミスではないことも全て僕のミスということになることもありました。ミスが発覚するとまず最初に僕がバックヤードに呼ばれました。
僕が答えられないでいると、攻撃が始まります。その後は、殴られたりゴミ箱に頭を突っ込まれたりして服も体もグチャグチャになり血だらけになってまた仕事に戻ります。
そんな毎日を過ごしていくうちに、気が付くと同期は僕一人になっていました。周りは僕のようになるんじゃないか?そんな恐怖から「ごめんな。後は頑張れよ。」という言葉を残して辞めていきました。それでも自分は今生きている環境を疑うことなく、これが職人の世界なんだな。と納得して3年間この歪んだ世界で過ごしました。
こうして僕の心は死に、「僕は何をしても攻撃されるのだ。」と思い込むことになりました。
↑ 上の記事を書いた時には、何故こんなことになったのか、理由を説明することができませんでした。今なら言えます。蹴られました。同じ箇所を続けて蹴られ続けると、骨化性筋炎になります。
美容師として3年間弱働いた僕が得たものは、ボコボコの体と車いすでのリハビリ生活と、死んだ心でした。
こうして、骨化性筋炎を治療するために実家に帰省して1年半近くリハビリを送ることになりました。
この時の出来事が僕の影キャラの原因の全てです。この記事を書いていてやっと気づいたのですが、僕の心はこの地獄の時期から止まってしまっていて人間的な成長もここから動いていません。今でもこの頃失った彼女や、友達、もらうはずだった給料など思い返すと胸が張り裂けそうになります。当時結婚を約束した彼女がいましたが、日に日にボコボコになっていく異常な僕の姿を見て愛想を尽かして距離を置いていきました。
この話は誰に話しても究極に引かれる為、ずっと封印していました。でも、この時の辛かった記憶が僕の心の中にずっと存在していて、目を背け続けることができなくなりました。この時の自分にケリをつけない限り僕はずっと鬱を繰り返していくのだと思います。
今ここまで書くのに、呼吸困難数回を繰り返してここまで書きました。こんな事書いても意味ない気がするのですが、改めて振り返ることで向き合おうとしているんだと思います。
最後に

どうか、鬱で悩んでいる人は無理をせず。
身近な人が鬱になったら、何もしなくていいのでそっとそばにいてあげてください。立ち直るまでに時間がかかりますが、どうすべきかは自身が一番よく分かっています。
あと当たり前のことができなくなってしまいます。そんな人を見かけたら、いつもと同じ心の距離感で一緒にいてください。
もう書けなくなってきたので、今回はこの辺でおしまいにしたいと思います。すごくしんどいのですが、鬱であることを認めて自分が楽しいと感じることを素直に楽しんで残りの人生を過ごしていきたいと思います。
この記事を書くことで、僕は初めて自分の状態と現実を直視することが出来ました。そういう点では意味があり、前を向くきっかけになるのではないかと思います。
頑張って生きていきたいと思います。
【おわり】